(※まとめ補足)
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筆が非常に興味深く感じたのは、マリオがニューヨークのブルックリンに居を構えるイタリア系移民である、ということだ。そもそもマリオという名前は、イタリア系アメリカ人の不動産開発業者マリオ・セガールという人物にインスパイアされたもの。(彼は所有する倉庫を任天堂に貸し出ていた間柄だった)
これまでマリオというキャラクターには、必要以上に民族性は付与されていなかったが、この映画では家族との夕食シーンも含めて、その背景が丁寧に描かれている。
ちなみに映画序盤で、初めて仕事の依頼を受けたマリオとルイージが、ブルックリンの街を横スクロールのゲームの画面のように駆け抜けていくシーンがあるが、その時にかかっていた曲がBeastie Boysの「No Sleep Till Brooklyn」。
この曲がリリースされたのは1986年で、ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」が発売された1985年とほぼ同時代。本作が80年代ブルックリンを舞台にした映画であることを、曲のチョイスでも示している。
(中略)
話を「移民」に戻そう。イタリア系の多くは1880年代からの移民である。彼らの大部分は貧しいイタリア南部の出身で、生活は決して豊かではなかった。元々団結気質が強いイタリア系は、同郷のネットワークを重視し、相互扶助の精神でコミュニティを作り上げていったのである。
特にニューヨークには数多くの入植者が流れ込み、リトル・イタリーと呼ばれるイタリア人街が形成されていった。同時に、シチリア島を起源とする組織犯罪集団“マフィア”も、アメリカで急激に勢力を拡大していく。
イタリア系にとって不幸なのは、あまりにもマフィアのイメージが強すぎることだろう。ルイージ役の声を務めたチャーリー・デイは、『グッドフェローズ』のような訛りで収録に挑んだものの、監督から「ギャング映画のニュアンスが強すぎる!」とたしなめられたという。
もちろんマリオとルイージは、バイオレンスによって成り上がろうとする悪徳兄弟ではない。肉体労働に従事する慎ましやかなブルーカラーであり、リトル・イタリーという小さなコミュニティで自己実現に邁進する一市民である。
そんな彼らがセーブ・ザ・ワールドを成し遂げるからこそ、『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は感動的なのだ。
この映画には、キノピオらキノコ族が平和に暮らすキノコ王国、クッパが支配するダークランド、そして猿たちの楽園ジャングル王国が登場する。単一民族による王政国家ばかりだが、キノコ王国だけはなぜか人間のピーチ姫が治めている、という設定だ。
彼女は小さい頃にキノコ王国に流れついたが、キノコ族は彼女を追放するどころか同胞として温かく迎え、女王という座まで用意した。難民であり異人種であるピーチ姫を、単一民族が受け入れたのである。そして今度はそのピーチ姫が、移民の子であるマリオと共闘して、クッパの野望を打ち砕こうと奮闘する。
(中略)
そして、メルティング・ポット(人種のるつぼ)とも称されるニューヨークの街に、キノコ王国、ダークランド、ジャングル王国の全ての民族が勢揃いし、物語に決着をつけるのだ。
マリオとルイージは確かに世界を救った救世主だ。だが彼らにとっての幸福は、世界からの称賛を浴びることではない。父親に認められ、元上司のスパイクと和解することだ。ブルックリンのローカル・ヒーローとしての姿がそこにある。
(全文はソース先で。非常に興味深い記事)