ゴーン逮捕についてのフランスの風刺画 日本はいつまでこのイメージなのか?差別じゃね?
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追記 2019年1月6日
ハンJ速報の当記事について落合陽一氏ご本人が1月5日に更新したブログで触れていますので
その部分を転載させていただきます。本文と合わせてお読み下さい。
(全文はソース元で)
炎上するネット時代の切り取り文化とファクトチェックに対して
https://note.mu/ochyai/n/n4d55a8480b67
また他にも,僕はいかなる身分差別や職業差別も肯定していません.ましてや復活させるべきとは考えていません.僕はとにかくフェアな世の中を作りたい,そのためにどういう思考実験や実装が必要なのだろうかということを愚直に行動をしてきたつもりです.
しかしながら,例えば下記の記事はカーストを肯定しているように切り取られています.僕は「社会制度としてのカースト」を断固として否定します.
「日本再興戦略」の中では,「身分差別がなく,そして職業選択が自由である」とという仮定の上で「士農工商」や「カースト」を例示しています.僕は「ストレスマネージメントされた、ワークアズライフの考え方が重要という文脈」で,拝金主義的(商重視)で本来の価値づくりの側に目が向かない今の社会への批判として持ち出しました.
「100個の職についてやって行くこと」「生産している労働している人にお金が回る仕組みを作ること」,「各職業がコミュニティとセーフティネットを持つこと」,そしてどうやったら「我々の社会を良くできるか」を考えた上で思考していました.もちろんそれが明治政府のプロパガンダの説や儒教の背景を鑑みた上,また士農工商が学校の教科書に今は載ってないことや制度ではないことなども踏まえた上で「社会に価値を生み出すためには「生産者」に敬意を払わないといけない」という例で用いました.それは僕自身が沢山の仕事を現場で行うことを100の姓を持つことになぞらえて自分を「農民」として説明した部分です.しかしながら多くのネットの飛ばし記事には意図や文脈を追うことなく切り出されています.
もちろん著書の中から文脈を切り離して切り出される可能性を加味すれば不用意な発言ではあり,いかなる書き方とはいえ,そういう受け入れ方をされる方がいるなら訂正すべきだと思っていますし,もし不快な思いをされた方がいるなら申し訳なく考えています.(上記のワークアズライフの説明をするときにストレートに「コミュニティごとの人格を持つこと・セーフティネットを持つこと・複数の職を持つこと」とすればよかったところだったのかもしれません)
このブログを読む多くの人はまとめブログや炎上記事のようなものに反応していたらキリがないというかもしれませんが,そういった「間違えた考え方を誘導する誤解」は発信することで解かなくてはならないと思っています.僕は常にフェアでありたいと思っていますし,身分差別制度を肯定することも職業差別制度を肯定することもありません.(もしそう捉えられるようなことがあれば撤回しますし,社会制度としてそういったものを肯定するつもりは毛頭ありません)
なので,今までは「全文読んでください」,といった上でリンクを貼るなどの対応していたのですが,それではまるで伝わらない.日本再興戦略は15万部ほどの部数になり発売後1年経ち多くの人にお読みいただきましたが,一冊通じて読めば「箇所の言わんとすることが架空のフレームワークを使った上での例示」であり,それが「歴史的な差別主義を容認しない立場」であることは伝わっていたと思っています.
しかし、一冊読むことは難しい.なので近頃では上記のように間違った文脈をまず否定し自分の主張を簡潔に伝えることにしています.なぜなら全文は多くの場合入手不可で課金コンテンツに課金するほどの思い入れが炎上させている側にはないし,タイトルだけ流し読む人は印象だけでものを語るので意味はないことが多いです.
しかしながらこういったコンテンツは例えば,日本再興戦略であればNewsPicksであるとか幻冬社の編集の方々を,文學界であれば文藝春秋編集者の目を通して出てきているものであり,多くの場合切り取りは想定せず「本全体,数百ページの文章としてのコンテンツの長さの中」で理解されるべきものだとして編集されていると思います.(論文ではないものはそういう長さで読むから気づきや娯楽を読めるのだと思います)
引用以上
現代の魔法使いなどの異名で知られている落合陽一さんの「落合陽一日本再興戦略」を拝読しました。筆者はまず日本の再興を考えるにあたって、「欧米」という概念を疑うことを提唱しています。そもそも「欧州」と「米国」を組み合わせた「欧米」という概念は、日本人の中にしか存在しない「ユートピア」である。そんな存在しないユートピアを自分たちが所属する「東洋」よりも優れているものとして扱ってはいけない。日本が再興するには「東洋的なもの」に対する価値観をもっと高めないといけないというのが著者の主張です。(中略)江戸時代の身分制度「士農工商」を復活させたらよいと言います。身分制度というと「格差や差別を助長する」という風に日本人は構えてしまいがちですが、必ずしもそうではないといいます。例えばインドのカースト制度の中で生きる人たちに話を聞くと、「自由がなく不幸」なのではなくて、自身がどのような人生を歩んでいくのかがある程度見えていることからくる「安定と安心」を感じる人もいるのだそう。現代は金融や商社などの、ものを作らずにお金でお金を生み出すような「商」の部分が強すぎる。士農工商の考え方である、「ものをつくる」農民や職人たちの方が商人たちよりもえらいという考え方を取り戻すべき。
参考続きを読む
氏は西洋的な見方だけではなく現在は東洋的な見方も必要だと指摘しているよ。 その例に、インドのカースト制度や日本の士農工商があるよ。
なぜカーストが幸福につながるのかと言うと、カーストがあると職業選択の自由はない反面、ある意味の安定は得られるからです。(落合陽一 日本再興戦略)
実はインドのカースト制度は意外と流動的で、例えばトイレのドアを開ける職業の人はトイレが自動ドアになった場合自動ドアを設置する会社に勤めることになるよ。 もちろん1人が差別につながると言う短所もあるけれど、カーストが完全に悪いと言うわけではなさそうだね。 そして日本の士農工商。これを氏はよくできていると称しているよ。 士農工商で最も低い地位にあるのが「商」。これは今でいうホワイトカラーだね。 なぜホワイトカラーの序列が低いのかと言うと、「商」は基本的に生産に関わらないからとしているよ。
http://english-otter.com/2018/03/02/ochiai-yoichi/