
1: マンセー名無しさん 2018/09/05(水) 09:06:48.21 ID:YSWK5szr
佐々木道雄は、明治以前から日本人は山間部を中心に鳥や猪などの肉を直火で焼いて食べていたこと、戦前から牛や豚の内臓を使ったモツ煮込みや、串に刺して焼いて食べるモツ焼きがあったことを指摘している。
一方で現代の日本における「焼肉料理」「焼肉料理店」は朝鮮と密接に関連していると述べている。1930年代中頃、朝鮮南部から大阪の猪飼野に移住した朝鮮人によってカルビ焼きとプルコギが伝わり、これらが当時、既に存在していた朝鮮食堂に取り込まれて焼肉食堂に変容する。
そして、プルコギとカルビ焼きは当時流行していたジンギスカンの影響により、「客自ら焼いて食べる」形式を得る。
佐々木によればこれが「焼肉」の誕生であり、この焼肉を在日韓国・朝鮮人らが、日本の料理文化に適応させながら発展させたという。
また佐々木は、焼肉の誕生に直接関与したのは朝鮮人で、満州や朝鮮に広めたのも朝鮮人であり、従って「焼肉は日本で誕生した」というよりは「日本の大陸進出時に大阪・猪飼野に移り住んだ朝鮮人が生み出した」とする方が実態を表していると述べている。
佐々木によれば、現代日本の焼肉料理、焼肉店の精肉の“焼肉”も内臓の“焼肉”も発祥は朝鮮半島にあり、1940年前頃に日本に伝えられ戦争中に一時的に途絶えるが、戦後、精肉の焼肉は朝鮮料理店で、内臓の焼肉は朝鮮系の飯屋や飲み屋によって再開された。
その後両者が互いの焼肉を取り入れることで、今日における焼肉店の原型ができ、“焼肉”が隆盛を迎えると、朝鮮系の冷麺店、飯屋、飲み屋も焼肉店に商売替えしたという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/焼肉
一方で現代の日本における「焼肉料理」「焼肉料理店」は朝鮮と密接に関連していると述べている。1930年代中頃、朝鮮南部から大阪の猪飼野に移住した朝鮮人によってカルビ焼きとプルコギが伝わり、これらが当時、既に存在していた朝鮮食堂に取り込まれて焼肉食堂に変容する。
そして、プルコギとカルビ焼きは当時流行していたジンギスカンの影響により、「客自ら焼いて食べる」形式を得る。
佐々木によればこれが「焼肉」の誕生であり、この焼肉を在日韓国・朝鮮人らが、日本の料理文化に適応させながら発展させたという。
また佐々木は、焼肉の誕生に直接関与したのは朝鮮人で、満州や朝鮮に広めたのも朝鮮人であり、従って「焼肉は日本で誕生した」というよりは「日本の大陸進出時に大阪・猪飼野に移り住んだ朝鮮人が生み出した」とする方が実態を表していると述べている。
佐々木によれば、現代日本の焼肉料理、焼肉店の精肉の“焼肉”も内臓の“焼肉”も発祥は朝鮮半島にあり、1940年前頃に日本に伝えられ戦争中に一時的に途絶えるが、戦後、精肉の焼肉は朝鮮料理店で、内臓の焼肉は朝鮮系の飯屋や飲み屋によって再開された。
その後両者が互いの焼肉を取り入れることで、今日における焼肉店の原型ができ、“焼肉”が隆盛を迎えると、朝鮮系の冷麺店、飯屋、飲み屋も焼肉店に商売替えしたという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/焼肉
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