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投稿者:ハンJ太郎
ネトウヨのデマ批判サイト、脱「愛国カルト」のススメさんが新ブログとして復活しました


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ハンJ速報は他人のレスをコピペしてるだけのサイトなので言ってしまうと楽して更新を重ねていける訳ですが、自分で文章を書いて自分で調べて…だとそれは大変だろうし応援していきたいと思っています


1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2024/05/23(木) 11:26:05.13 ID:nf2UjA/s0.net 
ライバルの朝日記者はこの前まで大学で教授を吊るし上げていた活動家だった 元産経記者が語る「メディアの左傾化」

5/23(木) 6:27配信

■朝日も読売も毎日も落ちて

 僕が産経新聞に入社したのは1991年4月だった。

 産経新聞に入った理由は単純だ。そこしか受からなかったからだ。僕は早稲田大学在学中、右派的な学生ではなかったし、むしろ心情的には反体制を気取っていた。

 新聞社はもちろん朝日も受けた。

 筆記試験で落ちた。

 大体、リヒテンシュタインの元首を答えよ、などという問題を出されても分かる訳がない。読売も毎日も1次面接で、日経新聞も2次面接で落ちていた。残るは産経新聞と東京新聞しかない。

 事件記者になれれば良いという安直な気持ちだから、面接官にも見透かされる。

「弱者のために働きたいです」と言ったら、毎日新聞の部長さんから「だったら弁護士になれば良いだろう」と返され、絶句した。そこで面接は終了だった。

 これはマズい。全滅したら就職浪人だ。新聞社以外受けていなかった。産経新聞を取り寄せて、慌ててむさぼるように読んだ。

 当時の産経抄の担当で、名文家として社内外で知られた石井英夫さんが、湾岸戦争のサダム・フセインに関して「こういうならず者にはコツンと一発、体罰を与えなければならないのだ」と評していた。「おいおい、戦争を正当化するのかよ」と思う程度には反体制派学生のつもりだったが、残るは産経1社だからそんなことは言っていられない。すでに東京新聞も役員面接であえなく落とされていた。

 最終面接で試験官から「今日の産経の1面がここに置いてあります。思うことを述べてください」と1面記事を大写しにしたボードを示された。運のいいことに湾岸戦争の記事があった。

「ええっと、サダム・フセインのような国際秩序を守らない輩は、多国間で封じ込めないと、第二、第三のフセインが出現します。アメリカの行動を支持します」

 と言った。産経の役員たちは我が意を得たりとばかりにウンウンと頷いていた。産経新聞から内定通知をその1週間ほど後にもらった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/efdb82d77238729bbf113838a9d1611011a96105
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