25番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (スップ Sdea-lk8q)2021/09/16(木) 18:24:55.54ID:ZSH773yWd
デジタル飛び越えて電脳で会話してるのか?
26番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 1126-n/dF)2021/09/16(木) 18:24:57.77ID:E7a40Ujo0
録音されると悪事がバレるからな・・・
30番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 66b9-DGFC)2021/09/16(木) 18:25:24.88ID:GX6nm0nP0
ログを残さないIT
37番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 6d05-IqxK)2021/09/16(木) 18:26:18.26ID:EQeLeHkA0
デジタル大臣「録音してないと…お思いでしょ?」(したり顔で蓄音機を叩きながら)
46番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ササクッテロレ Spbd-u92J)2021/09/16(木) 18:28:18.69ID:ZFDB1Cp8p
大臣が出席したら私文書扱いw
52番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ a5ed-wHYb)2021/09/16(木) 18:29:51.15ID:PhAi3lTW0
暗号処理してリアルタイムでクラウドへ
障害者がシュレッダーにかけた・SSDドリル
という言い訳ができなくなる
53番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 6a1e-XDXZ)2021/09/16(木) 18:29:57.84ID:rw1E0Jf40
議事録がない会議結果を根拠にするのを禁止するべきだわな
68番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ a5ed-wHYb)2021/09/16(木) 18:32:07.25ID:PhAi3lTW0
https://mainichi.jp/articles/20210917/ddn/041/010/022000c文書管理法は官公庁の職員が職務上作成・取得し、組織的に使うものを音声や録画を含め公文書としており、識者は「他の職員もアクセスできる状態だったとみられ、私文書扱いは疑問だ」 自らの証拠隠滅を優先するあまりデジタル改革担当相としての職務を否定してしまう「NECは使うな」担当 73番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワンミングク MM7a-O9c1)2021/09/16(木) 18:33:26.72ID:gXirseXfM
こういうデジタルに対策するための庁か
74番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW b5de-6k6m)2021/09/16(木) 18:33:35.09ID:Tf+Abuyr0
公文書図書館にこれ公文書ですかって聞いてみろ
85番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (オッペケ Srbd-6k6m)2021/09/16(木) 18:37:39.27ID:oCs83cq2r
これ民主主義国家か?
有権者が政治家を監視できないってどういうことだよ
95番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 7dde-V/Yn)2021/09/16(木) 18:46:11.77ID:5QIifM0y0
会議じゃないならなんだよ茶会か? 茶の間で国策決めてんのか薄らハゲ共
102番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 6d39-p/5t)2021/09/16(木) 18:48:04.17ID:OTNuaoXB0
で録音データが文春にリークされるんだな
109番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 15ca-dGLa)2021/09/16(木) 18:52:36.60ID:HmZSMlSt0
良く、政府のデジタル化が進まずマイナンバーが便利に使えないのはうるさい人権派が反対するからだ、とか言う人居るけど
この国のデジタル化って>>1みたいに国民にとって利点何もなくて、ただ政府に都合よく使われてるだけなんだから
そりゃマイナンバーだってデジタル化だって反対されるの当然でしょ
データをデジタル化したら誰でも閲覧が簡単になるんじゃなくて、逆に簡単に削除した「ことにされる」だけなんだから
110番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワンミングク MM7a-eiQK)2021/09/16(木) 18:52:49.34ID:s7NWeZ1AM
恫喝の再発防止のために録音しろよ
というか下ろせよこんな奴
何がデジ道だ
111番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ b5de-nFjO)2021/09/16(木) 18:53:09.15ID:ssYtBPXw0
まず文書管理システムを自分で作れよデジダル庁
いろいろやりたいこと思いつくだろ
133番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 7dde-lElX)2021/09/16(木) 19:06:36.68ID:f6XFotVX0
マジで森友文書問題がこの国のターニングポイントだったんじゃないかな
あそこをなあなあにしたからこんな状況になった
151番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 57de-DkiD)2021/09/17(金) 04:04:48.85ID:6upCeAfc0
ipもろみえで「だまれババア」「安倍ぴょんがんばれ」ってニコ生にコメントして大恥書いた経験が生きてるな
152番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (オイコラミネオ MMab-S4BX)2021/09/17(金) 12:18:39.28ID:muoY0rvQM
自民には幅広い人材が居るらしいが公文書管理や情報公開を改善するってやつは聞いたことねーな
あっ()
コメント
コメント一覧
狡猾非道隊
それが出来たら独裁国家に売れそう、中国とか。結果論として、安倍が造り上げた現状の自民党って中国とか北とかベラルーシとか最高に相性が良くなったよね
どこまで歴史に逆行すれば気が済むんや⋯⋯
公文書なんて紀元前からあるんやぞ
そのうちウホウホ言いだすんちゃうか
少なくとも政治家から国民に向けた言葉は既にそれで代用できる模様
中国を見習え…と思ったら中国はゲームもアニメも禁止になったか…
台湾を見習え!
日本も2回はやらかす国になりそう
日本の統計や締結した協定とかを推定復元する赤っ恥は確定やな
官僚がこっそり破棄前のデータや議事録メモを残してるかというとここ数年の人事権の絡みで望み薄だろうし、復元には21世紀後半丸々かかるかもしれん
変な所で改行入ってすまん
2000年代前半ないし日本の統計や締結した協定とかを推定復元する赤っ恥は確定やな
→2000年代前半以降の日本の統計やせいふが決めた外国との協定や行政の取り決めを推定復元する赤っ恥は確定やな
間隔空き過ぎて前回がノーカンになりそうで怖い
USBが何かはきちんとわかってる方?
適材適所が全く出来ない国だから不安しかない。
フロッピーまでしかわからなかったらどうしよう・・・。
暗号処理してリアルタイムでクラウドへ
障害者がシュレッダーにかけた・SSDドリル
という言い訳ができなくなる
機密としての価値がなくなる期間が経ったら公開するところまで法制化しろ
わーくにが作り出したネトサポネトウヨ体制は素晴らしいな?
当たり前のこともできないのにより高度なことできるわけないじゃん
ワクチンみたいに政府が基礎自治体の足を引っ張るのがオチだわ
まあ戦後に資料焼き捨ててる前科もあるけど。
森友問題でタガが外れたけど、このままこの状況が続く限りは汚職天国だな。順調に独裁国家に突き進んでる。
早い段階で人間を見捨てそう
同感。個人的には、最近のお笑いの「力」が気持ち悪い。
いろいろ言われてるテレビのワイドショーだけでなく、吉本興業と東京大学がコラボとか、学問の分野にまで我が物顔で乱入しようとしててカルトみたいな怖さを感じる。
お笑いって本来はそんな「ライフライン」的なものじゃないのに。
アメリカは国立公文書記録管理局なんて施設がパヨクすぎる
日米同盟破棄
そのローテーションはわざと?
いつも数パターンの言動のみを繰り返して生きている
それらに番号を割り振り
賭けネトウヨできる。
次は1!
いや3だ!
1、生活保護なら3000点
2、野党の話なら500点
3、韓国リンク貼り付けなら5点
毎回同じ、1年前も生活保護!言ってる
彼女よく飽きないな
スクショが出来ない星空サラでも動画アップくらい出来るのに、録音も出来ない人間もいるとか世間は広いな
記録がないから
認知度という点ではいいのかもしれないけど何にでも介入してくるってのはちょっとね。別に芸人を毛嫌いしてるわけでもないけどこちらも違和感が拭えないよ。
それに公職や公共施設に関するポスターに萌えアニメが使われてたりするのも個人的には情けなく感じる。対象年齢は何歳?と思っちゃう。そんで大の大人が本棚を紹介してる動画なんかみるとほぼマンガで埋め尽くされてるし。
その傾向がオリンピックの開会式で正に出ちゃってるからね。それぞれの趣向だから全部を否定するわけじゃないけど、そういうのって何か芸術とか知性を表現したものと少し違うんじゃないかと思うんだよ。アニメにしろマンガにしろお笑いにしても、ある意味現実的な社会を否定するもんだしさ。何かリアリティーがないのよ。
1年前にもパヨクは生活保護ってさ
10年間に挑戦してみて
パンクは生活保護。
これ,自分が貧困だという証明
YouTube使うんなら星○サラ先輩に○ゲ頭がイイ感じに映りこむ
ような直撮りの方法とかキチッと教えてもらえよ。
昔の、多分NHKの学生による討論会で真面目な女の子が袋叩きに遭ってたの思い出した
多分勉強が大事と主張したんやと思うが、それに対して「俺だったら数学出来る奴よりも面白いやつに仕事任せたいと思うし~」とか強気に言ってる男がいて他もそんな感じ
そんな奴らが大勢そのまんま大人になった結果が今の社会なんやろね
そして責められた子は虐められて絶望してるか海外で働いてるかの二択
こういう世の中になって改めて真面目な仕事ぶりや誠意のある学問ってすごく大切なことなんだと思い知らされるよ。仕事にしても学問もにしても自分のことだけじゃなくて社会や相手がいるもんだしさ。そこに娯楽的な要素なんて要らないんだよね。
子供の頃マンガに熱中したとしても、経験とか知識が増えてくれば時代設定がおかしいとか主人公は仕事しないで生活費はどう稼いでるんだろう?といった素朴な疑問から普通は興醒めしちゃうもんだけどね。マンガやアニメを見るなとは言わないけどマンガやアニメばっか見てる社会なんてやっぱり異常だよ。
仕事や学問の楽しさって真面目に取り組む中に喜びとか達成感があるわけで、冗談いいあったりふざけあうこととは違うからね。なんかそういうオンとオフがごちゃごちゃしてるのが現代社会みたいな気がしてならないよ。
愛国という名の官製テロリズムやな
国民の権利をバカにしてるとこがなんとも自民党クサい
うまい
動物辞めるまでやぞ。
行けば分かるが上海とか一部除けばそこまで中国て進んでないぞ
決済も印刷したバーコード読み取るだけで先進性は何もない
それ以上に先進性がないのが日本
国内企業に関しては、法律での脅しでいけますから土下座はしません。
もうこれ国家の体をなしてないだろ
というか記録すら残してないから修正する歴史すら生まれない
当事者が今後洗いざらいゲロしてそれが記録されるような奇跡でもなければ後世でなんでこうなったかという事すら検証不可
英語、塾、アニメ、マンガ、ゲーム挙げ句は仮想通貨も禁止でもう中国は日本以下やで
中国共産党は国民愚民化計画進めとる
文化大革命に逆戻りや
やってみたら?
既に日本では指示を出す側が責任を負うという倫理が崩壊済なんやで
そのうち誰からも記録を必要とされない国になるかな、、、
いや衰退過程は知りたいだろうからそれは無いか
学問が大切なのはよくわかるけど、37みたいな人は本当につまらないと思う。社会人としては良くても人間の魅力に欠けてるんじゃないかな
日本みたいに下も上もバカにならん限りは独裁ならやっていけるやろうね。どうやって上の質を保つかが問題やけど
ファンタジーにそこまで求める感覚こそオカシイわ
現状打破するチカラってのはどこから湧いてくると思う?
想像力だろ
そのために、アニメなんかよりずーっと前のそれこそ有史以来小説や詩というものが存在するわけで
問題は、現実世界に真剣さが失われつつあるということ
いわゆる平和ボケ
本来なら真剣に生きてる者ならファンタジーから普遍的な価値に気付かされる感性があるはずだが、ただの娯楽にふけってる現代人にはただの処理されるべき情報のカタマリでしかない
あらゆる政策がこの根幹が無ければほとんど意味の無いものになりかねない
先ずはここから、これ以外は何も考えてなくていいくらい
自由民主党?看板に偽りあり!
個人的には一番はお笑いかな、、、
あれは自分の口だけで直接他人に働きかけるから最初から超政治的だと思う
マンガの場合は読むというより作ろうとする人が雑に増えるのが問題かな
その人間の魅力とやらを過大評価し過ぎた社会っていう話なのでは
先進性てなんや。中国てカード決済すら出来んのやぞ
分かるw
あと議員が実績作りの為にどう考えても生保要件満たしてない奴連れて来るの、良い加減にして欲しい。不公平極まりないんだよ。共産公明。お前らだ
その後、安倍内閣で文書管理厳しくする法律出来たの知ってる?
しらん
おそらく反省したんだろ
強権利権党
そっちのほうがやばいな
なるほど大臣は反自民の刺客だったかしれん
くっさ!
WWの事を指してるんやったら、WW1のほうはどっちもどっちやないの?
それに日本もWW1に参加しとる。日英同盟を口実に中国などでのドイツ利権を獲りにいった。
イギリスは来んでええいうたが。どさくさに中国に利権要求をして呑ませたりもしとる。
いや、マンガやアニメの存在自体を否定してるわけではないんだよ。それを作るってのは立派な仕事の一つでもあるからね。
それに詩なんかにしても好き勝手にデタラメなことを書いたもんじゃない。あれこそ膨大な知識や智恵を必要とするものだからね。現に古今東西の詩や雑歌は専門の学問として確立されて長年研究されてきたわけだからさ。
想像力といっても、それを具現化するためにダ・ヴィンチなんかは実験を重ねて物理や自然の法則を研究してたでしょ。東西の詩人にしても未開の地に敢えて赴いたり瞑想や歌会を開いて日夜研磨してたわけじゃない。昔の人はフィクションであっても膨大な資料をみて小説なんかを書いてたわけよ。
でも、いっちゃあ何だけど日本のアニメやマンガは明らかに娯楽の一つでしかない。ダ・ヴィンチの作品の様に実験や考証を重ねて作られたもんじゃないでしょ。そもそも本来は子供向けのもんなわけだし。マンガやアニメをみて何かのヒントなるとかいう人がいるけど、こちらからみれば本題に取り組まないで何時までヒントを探してるんだって話なのよ。
たとえば自分が病気になったとして病院に行ったとする。そこの医者が病気をちゃんとみてくれないで冗談ばっかいってきらどう思う?こちらは病気だから病院に来てるわけであって友達を探してるわけじゃないのに。
色々と専門に取り組んできた医者が剽軽な人であるのは別に構わないと思うよ。でも、自分の仕事である医学にちゃんと向き合わないで剽軽でいるのってちょっと違うじゃん?こちらがいってるのはそういうこと。
ほんこれ
最近の子って良くも悪くも喧嘩とか苦手で
声の大きいやつに何も言わずにボーッと合わせてるかいつの間にか消えてく感じなんよね
ボーッと合わせてるようなのの仕事の程は知れてるし
真面目な子は消えてその後海外とか日本でもマシなところに取られてしまうんよね
昔から日本人は議論が下手と言われてるけど、
ここに来てついに議論をしなくなってしまったと思う
私の借金記録を消してください
そんなドヤることではないやろ…
本題に戻るんだけど、だからありえない間違いをしてもシレッとしてられんだと思うんだよ。若い子じゃなくても。
まぁ、起きちゃたものもうどうしようもないわけだど、そういう失敗をしないように仕事でも学問でも日夜研磨するわけじやない。失敗に鈍感になって失敗ばかりする人と失敗に怯えながらも日夜研磨して失敗するのって同じ失敗でも全然違うからね。
漫画も、小説や映画やその他の媒体と一緒じゃないの
大衆に広がりだした頃は小説だって俗悪と呼ばれていた時代があったんだよ
媒体をきっかけにして学ぶことも、媒体それ自体で学ぶこともありだと思うよ
火の鳥未来編だって当時のSFや環境問題や哲学を上手く融合してると思うし
ボーっと合わせてるようなのの仕事っつーとただ単に上司に言われたことを黙々とやる低賃金で長時間拘束の田舎の工場の非正規(契約社員・派遣・パート・バイト)の単純な流れ作業みたいのが思い浮かぶ…
ホントほぼ毎日のようにゴールデンタイムのテレビは似たような内容の3時間~4時間のクソ長いお笑い特番(顔ぶれもネタの内容もほぼ同じようなの)ばっかりやってるよね… あれ異常だよ…
まあそういうふうにしっかりとした考えで生きていけるのは運も良かった証拠だよ
実際運が悪かったら何をやれば良いかも解らないまま大人にさせられてしまう
問題はそういう子が増えすぎていることで、結局原因は教育ってところに辿り着くのかもしれんが
後世に残っている有名どころ作品が選び抜かれた猛者揃いだからそういう印象が強いのかも。当時のバロックのオペラなんかは、流行歌をつなぎ合わせたものも多いよ。今だと剽窃と呼ばれるものもヘンデルやモーツァルトは音楽に取り入れていたし。玉石混交作品は当時からあった。ダ・ヴィンチは冨樫義博みたいな所があったし。
学習漫画がきっかけで生き物や自然現象や宇宙に興味をもったり、ADHD本人(沖田×華氏など)が詳細に絵に起こしたり、被災者や福祉施設出身者の作品、花輪氏の刑務所の中と、漫画も従来のものとは違った形で役割を果たしていると思うよ。
漫画に極振りしている人がまとめサイトに極降りしている人と同じか、あるいは小説やワイドショーや映画に極降りしている人と同じかはその人によると思う
だからこちらはマンガやアニメの全部を否定してるわけじゃないんだよ。『火の鳥』だって個人的には嫌いじゃないし、その世界観が以後のSF映画に与えた影響は大きいでしょ。でも、どういったってあれ子供向けのマンガだよ?手塚治虫が当時の世情を皮肉ったりしながらも未来を子供に託すために書いたものだ。それに君自身も「媒体」と言い表してるように問題の本質というわけじゃないでしょ。あくまでもサブカルチャーでしかない。
子供の頃に『火の鳥』をみて、そこから得たり考えさせられたりしたことを大人になって仕事や生活で活かしたりするのは別に構わないと思うよ。逆にいいことじゃない。ただ大人の社会って実践なわけじゃん。基本的に得る側じゃなくて施す方なんだから、いつまでも子供向けのマンガをみて学んでる場合じゃないとは思うよ。
というか、そうじゃないと手塚治虫の趣旨にも反しちゃうんじゃない?手塚治虫は自分のマンガを通して成長した子供が社会で活用してほしかったはずだよ?いつまでも空想にとりつかれて何も実践しないような人を育てたかったわけじゃないでしょ?
世の中の頑張りの低下を漫画に求めるのも違うと思うけどなあ
漫画が世に溢れているので82さんの考える問題も起こる。それは同意するよ
ただ漫画の部分を小説や詩歌にしても同じだと思うよ
何で自分のコメに自分で返事してんの?
世の中の頑張りの低下を漫画に求めてなんかいないんだけど?単純にマンガやアニメやお笑いばっかが溢れて幼稚っぽいといってんのよ。
それにマンガの部分を小説や詩歌に変えて捉えるってのもよくわかんないな。いうほど小説や詩歌が世の中に溢れてるっけ?悪いけど話を整理した方がいいんじゃない?
印象?古代のエジプトやメソポタミアでも作詩は知識人の嗜みと認識されていたはずだけど?神話自体が詩の体裁で綴られたものも多いしね。それはギリシャや中東とかでも同じで初期の仏教は詩を作ることで悟りの度合いを互いに計りあってたんだよ。中国でも『詩経』が最高の学問の一つとして教授されていたしね。
実際に日本でも近代までは作詩が学問上の昇華とされてたわけじゃない。そういうのって君も中学の歴史授業で必ず習ってるはずなんだけど?勅撰の歌集とか三鳥三木の伝授とか国学の勃興とか覚えない?
それに何回もいってるけど詩にしろマンガにしろレベルってもんがあるわけでしょ。こちらはその全てを否定してるわけじゃないんだからさ。裏付けのあるものなら必然的に対象年齢も上がっていくわけだし情報量が多いものだってあるでしょうよ。学習マンガなんかも切っ掛けとしてはあっても全然いいと思うよ。だけどそれは物事の本質じゃないじゃないよねって話なんだよ。サブカルチャーじゃんって話。理解できる?
あと悪いけど君の話は何か知ったかぶりみたいなのが多いし色んな方向に話がとっ散らかってて理解し難い点が多いよ。こちらがいってることからもかなりズレたこといってるしさ。
あれ、日本ですか?
日本は民主国家だと聞いてたんですが
これは一体?
私は、詩を漫画より格上だとは思ってないから話がずれるのかも
肉筆画を版画よりも格上だと思っていないというのと同じ
詩歌が漫画より歴史があるのは質の差というより、紙等の媒体物の関係だと思ってる
漫画はグレードが劣っているから本質を伝えるものではない、という意見には賛同しかねるよ
88だけど、詩自体は嫌いじゃないよ
中国だと山水詩、日本だと万葉集と狂歌が好き
西洋だとマリア様や教会を捩った詩も好きだし、
ギリシア神話の悲恋を情熱的に綴った修道士達の詩も好きだよ
詩が漫画より格上とかいってないんだけど?詩ってのは紀元前の古代から知識や知性を拠り所に綴られたものというだけの話。デタラメに言葉を並べただけのものを詩といわないからね。
それに肉筆画を版画より格上とかいう喩え話も意味不明なんだけど?版画でも評価が高い作品は古今東西沢山あるじゃん。東洲斎写楽とか知らない?
というか、詩はマンガと同じだといってきたのはそっちの方だし、自分から話を振っといてデタラメな解釈でアーダーコーダーいわれてもさっぱり話が見えてこないよ。そういうのもさ、自分勝手にこれはこうとか思い込まないで先ずはきちんと学んでみればいいんじゃない?そうしないとこちらがいったマンガの弊害を正に君自身が体現してることになるよ?根拠もなく自分の感覚だけでどうこうのいうなら論議する必要もないしさ。
>単純にマンガやアニメやお笑いばっかが溢れて幼稚っぽいといってんのよ。
そこは勘違いしてた、すまない
マンガの部分を小説や詩歌に変えても同じってのは、
漫画しか見ないような人が漫画からしか物事の本質を見出さななら、
詩だけ、小説だけ、映画だけの人でもそこからしか本質を見出さないのでは?と
詩や小説は高尚だからそれもアリ、という考えもあるかもしれないけど
彼らは一辺倒にならずに色んな媒体から吸収するよ、という話ならごめん
いや、嫌いなものとか好きなものの話をしてるわけでもないんだ。ごめんね。
>マンガなんかも切っ掛けとしてはあっても全然いいと思うよ。だけどそれは物事の本質じゃないじゃないよねって話なんだよ。サブカルチャーじゃんって話。理解できる?
90さんは詩を至上のものとして、絵や漫画や映画や小説よりも上に位置するもの、特に漫画に関しては物事の本質には決して迫れないものと判断しているような気がしたので
版画は歌川広重や葛飾北斎のものが西洋の画家達に人気になったね。当時のアカデミーでは左右対称傾向、水平線は上に描きすぎない、人物を入れない絵は評価が下がる、などガチガチになっていたから。新しい文化が生まれるのもこういう所からだね
多くの知識や知性を織り込めば詩や小説の質は必然的に高くなる。それは映画だって同じことがいえるよね。金額という点では映像の方がかかるのかもしれないけど。
マンガやアニメだって、そういうのはあるでしょ。宮崎アニメとか正にそういう評価を得てるわけだし。ただ宮崎アニメにしても本来は子供向けだよね。大人も見れるようになってはいるけど。
つまりさ、文字や映像の世界でもそうだけど対象年齢ってあるじゃん。こちらはマンガは絵だからダメだとかいってるんじゃないの。子供向けのものを大人になってもずっと見てるのが異常と思うわけよ。
詩を出してきたのはそちらだし、詩が至上のものといっていたのは古代の人達だよ。それは私の感想じゃない。
話してわかったけど多分あなたは物事を好き嫌いで判断してるだけなんだよ。でも、こちらはそういう話をしてないんだ。あれはこうだから好きとかあれは自分に合わないから嫌いといってるわけじゃないわけ。
医療のマンガは実際の医療じゃないし、サッカーのマンガは実際のサッカーじゃなないでしょ?物事の本質じゃないってのは単純にそういうことをいってんの。そう考えると子供向けのマンガで物事の本質を読み取ろうとすること自体が幼稚に思わない?実際の世界はマンガの中じゃないんだからさ。
漫画の対象年齢はさまざまな層のものがあるよ
小説や映画に比べたら確かに児童や少年少女向けの物が多いとも思う
94さんは子ども向けのものである漫画を大人が手放せない世情を危惧しているんだよね?
私は漫画は幅広い層に訴えかけるものがあると思うし、大人向けに描かれている多数の漫画もまた大人達が見ていると思うよ。でも火の鳥は子どもが読むべきもので、大人には相応しくないとするのなら、たしかに漫画は子ども向けのものだね
こちらは最初から子供向けのマンガを大人が読み続けてることが異常だといってたよね?それに私自身が『火の鳥』を大人に相応しくないともいってないからね。『火の鳥』を子供向けと設定していたのは他ならね作者の手塚治虫本人だよ。
気を悪くしたら申し訳ないんだけど話をしたいなら先ずは人の話をきちんと聞いた方がいいよ。自分の話たいことばっかいわないでさ。で、大人向けのマンガってどういうのいってんの?
>こちらは最初から子供向けのマンガを大人が読み続けてることが異常だといってたよね?
それは最初から承知しているよ。それを踏まえた上で、私は漫画は大人も読書に加わってもいいものだと思ってる。その確認も兼ねての言葉が96のレスだよ
手塚治虫は火の鳥のギリシア・ローマ編を学童誌で幼い読者向けに描いていたけど、火の鳥そのものを子どもに向けて描かれているのは知らなかったよ。たしか96の私の弁だと漫画は子ども向けになるね
大人向けの漫画とは、後期の手塚治虫の歴史ヒューマン物が有名だと思う。火の鳥もここにカテゴライズされたりしてる。孤独のグルメとかヒストリエも大人向けかな。少年少女物と青年男女物の区別をしない区分もあるけど、より社会的・静的なものが大人向けかなと思う
日本の歴史だと公文書っていつ頃から残してるの?
私は57さんではないんだよ、紛らわしくてごめん
81から横レスで入ってきてる。ID表示がないのに気を使わなくてごめんね
医療やスポーツの漫画をそっくりそのまま現実のこととして受け止めるのはたしかに危ないことだと思うよ。医療は小説が原作のドラマでも突っ込まれやすいし
でも物事の本質に届かないとは思わないよ
南欧のサッカー選手が子どもの頃にキャプテン翼を見てサッカー選手を目指したように、産婦人科勤務の作者の体験に基づいて描かれた「透明なゆりかご」が多くの人の心に問題提供したように、漫画も小説や映画やドラマと同じように人の琴線に触れ、本質に届くものを持っていると思うよ
正しい知識も同時に必要だけど、それだけなら統計資料や報道記事だけでokだよ
手塚治虫の認識は連載中に投じた雑誌のコラムにちょくちょく書いてあるよ。岩明均とか私も嫌いじゃないけど、そちらが挙げたのも大人向けといえるかどうかはちょっと疑問だな。どちらかといえば二十歳前後の青年向けじゃない?
勿論そちらのいいたこともわからなくもないんだけど、どうしてもマンガは専門誌に劣っちゃうわけじゃん。いや、こちらも何が何でもマンガを幼稚なものに位置付けたいというわけじゃないのよ。でも、色んな情報の本とかもある中で何でマンガなのって疑問は拭えないね。それが子供からの延長線上なら尚更。
例えばさ、そちらが例に挙げたヒストリエなんかにしても基となった記録とか普通に出版されてるわけじゃん。何でそういうのは読まないわけ?そこでストップしちゃうのは何で?
>手塚治虫の認識は連載中に投じた雑誌のコラムにちょくちょく書いてあるよ。
そうだったんだ、どうもありがとう
漫画が専門書よりも読まれるのは、見やすい点じゃないかな
学習シリーズで宇宙に興味を持って今はニュートンや日系サイエンスを買っているけど。図と文字の説明に比べても漫画は視覚的な分かりやすさがあると思う
色んな漫画を読んでも、そこで興味を持ったものを専門的に調べるきっかけになれば良いと思う
うん。やっぱ切っ掛けだよね。子供だと調べ方がわからないとかあるけど大人なら読もうと思えば専門書でも何でも読めるわけだ。なら専門書を読もうよということよ。単純なことだけど。
だから『キャプテン翼』とかは子供の頃に読んでってことでしょ。それにこちらは何が何でもマンガがダメでドラマや小説の方がいいといってるわけじゃないのよ。
それにマンガや小説以外でも統計資料や報道記事だけが本というわけじゃないよ。技術的なものから歴史的なものまで色々ある。そういうのを学ぶために大学というステップがあるわけだし。いくら感動したからといって論文にマンガを引用する人はいないからね。
少なくとも隠蔽改竄仕草が露骨になったのは薩長が実権握った明治以降じゃないか?
北朝鮮やタリバンが公文書を公表すると思う?
日本はそちら側に近づいている
先進国で最低の項目が日本多すぎ
荒巻課長がもしいたら血管ちぎれるレベルで激怒しそう
公表は絶対にしないけど公文書自体は保管してそう。昔のソ連とかみたく
我が国が先進国であるという認識を疑え
ソ連末期以下、WW2敗戦直後で書類焼きまくってた日帝レベル
今日のニュース
『日本人は「先進国で一番孤独な国民」』
『悔しいが「アメリカが育てた」といっても過言じゃない! 日本じゃイマイチも北米で爆発的人気を誇る日本車3選』これは日本の自動車関連税がアメリカの20倍
だから日本ではなく海外をめざす
日本の若者が北朝鮮化なのよ
北朝鮮人は体制だけあって人生あきらめてるじゃん?
ビジネスの最前線で活躍する日本人講師が、中国や台湾で若いエンジニアに将来の夢は?と問うと目を輝かせ流暢な英語で語るという。
日本では経験がない。みんな黙り込む。
公文書を管理する職員は韓国につぎ先進国最低
アメリカやフランスが1000人単位 日本50人
小説もかつては俗悪なものとみなされていた時期があったし、
漫画も同じように良い作品群が後の世には一定の評価を受けるものであってほしいと思う
論文に漫画を引用するのはちょくちょく聞く
当時の文化だったり映像表現としての引用だったりするけど、
24年組やトキワ荘の作家・作品はそれ自体が論文の対象になったりしてるね
そのすべてのソフトを所有してるが、
実現してないです。
今日のニュース
『日本で子育てしにくい‘3低’構造とは――「自己責任」の国際データ比較』
だから3回目を始めるかもしれんってことでしょ
いま気づいた?
生活保護チックなこと一番言ってるのは高市なんだよね
このコロナ禍で反緊縮つまりバラマキなので
となると片山さつきが応援する意味わからん
本人もわかってないだろうが
そう云う真面目な日本人を排斥し、下ら無い人間が闊歩する日本社会を、GHQや在日朝鮮マスコミが作る為の戦後だった。まあ日本人は根が真面目だから時間は掛かってるから、手っ取り早く日本人以外を日本に大量に入れようとしてる現在。
自分のコメに返答???してないがw
多分、地方公務員なら多くが思う感想だけど共産とかてキーワードに顔真っ赤になっちゃったかな🤪
生保を地方自治体の予算なんで極端に言えば国は関わってない
あーそういう設定なのね
内容詳しく教えてくんない?
小説が俗悪なものとみなされた時期って何をみていってんの?近代文学で小説といわれてるものの著者は殆どが群を抜いた学歴の人達だよ?
それに論文に映像表現なんてないよ。映像というならメディア系の卒業製作に類するんじゃないの?マンガを文化史の研究として取り上げるというなら史料の一つになりえるだろうけど、それを論説の引用とはいわないでしょ。引用ってのはそこに書かれている主張に根拠を求めるということなんだからさ。
何かそちらも話が大分とっ散らかってるね。そして知ったかぶりも多いよ。100と105で話してた問題ってのはマンガが専門的な知識の根拠になりえるかなりえないかの話だったでしょ?
明治時代の前半は小説は青少年に有害だと言われてたんだよ
そのあと、親しみやすい題材になったりで人気もでてきた
卒論以外でも映像は論文に使用するよ
漫画は、複数資料の一つとして論文へ引用する感じ
料理の食材の時代による扱いの変化で、
料理本や番組と一緒に漫画のサザエさんが資料として引用されてるよ
↓コメ100のの解説。分かりにくい文章でごめんね
漫画などの文芸では本質に届きづらく、必要性が低いというなら、
統計資料や報道記事だけでもしかして情報は十分ではないか?と言いたかったんだよ
間違い訂正
×卒論以外でも映像は論文に使用するよ
○卒論以外でも映像は論文に引用するよ
だから何処にそんな珍説が書いてあるの?明治時代って一番文学が発展した時代だよ?大学への進学率が低い中で坪内逍遥や夏目漱石に森鴎外は東大、二葉亭四迷は一橋大、樋口一葉は早大、島崎藤村は明学院大で学んでる。そもそも明治政府の教育にしたって和歌とかを研究していた国学の流れも汲んでいたから、文学に関しては積極的に導入してたはず。だから文学部という名称の学部ができたんだし。
それに論文ってのは基本的に学会誌に掲載するための体裁をとったものだからね。対して映像って動画のことだよ?どうやって紙面に動画を貼り付けるのよ?
あと先のコメントにも書いてるけど、資料としてマンガを紹介することと論説の根拠としてマンガを引用することは全く異なることだからね。論説の引用ってのは、この資料でこう言ってるから私の結論はこう考えるということなんだ。例を出すと、手術の仕方を説明した医学誌の論文で『ブラックジャック』にこう書いてあるから私はこのマンガに倣って新たな手術を提唱するというのが論説の引用ってこと。おかしいでしょ?
すまないけどデタラメや知ったかぶりは取り敢えず辞めようよ。あとあと統計資料と報道記事とマンガだけが本じゃないんだってさ。人の話を少しは聞いてください。
ものすごく横から別人が割り込むんだけども、
ここまでやり取り読んでて思ったのが、そもそも多くの人は「本質を読み取りたい」と思ってないんじゃないかなー。仰るように本質を読み取りたい人は専門書なりなんなり読むと思う。自分もそうだし。でもそこまでじゃないけどチラッと雰囲気知りたいなくらいなら自分は一般向けの解説本を読む。それがマンガになる人もいると思う。
そして、なにより、本気で何かを学ぼうと思ってマンガを選ぶ大人はほぼいないんじゃない?
ただの娯楽として、頭からっぽにして読んで、それで何か(感情の揺さぶりとか)を得て満足…って感じではないかなあ。で、なんでそうなるのかというと完全に想像なんだけど「疲れてるから」じゃないかと。自分は知的好奇心ある方だけど、何かを探求するって疲れるし時間かかるし。日々の仕事で疲れ果てた人がアレもこれもと本質を読み取ることに労力と時間を割けないんじゃないかなー。
というわけで、思索に耽ける金銭的時間的余裕が今の多くの日本人から失われている、その結果があなたの言う「幼稚な日本」を生み出しているのではないか?と思ったよ。
こちらもそんな難しいこといってないのよ。別にマンガみるなとはいってないし、それが害悪とも思ってないんだけどね。ただ何回もいってるようにマンガはマンガ。
医療マンガを1000回読んだところで看護師や医師にはなれないし、歴史マンガを熟読しても史学を学んだことにはならない。質問者の人はマンガを文学か芸術の一つの様にいうわけだけど、それは流石に無理でしょって話なだけなんだよ。繰り返しになるけどマンガの題材になるものの本質は別にあるわけで、ストーリーがよいから芸術に入るというもんでもないしね。
で、そちらの意見も面白いんだけど自分はむしろ逆だと思ってる。本当に忙しい人ってマンガを読む暇さえないだろうし金をかけてまで読まないんじゃないかと思うんだ。時間に追われて金もないのに娯楽であるマンガを購入して読み耽るってある意味矛盾した選択になるなわけだし。
個人でマンガやアニメやお笑いを楽しむ分にはいいのよ。でも、最近はマンガやアニメやお笑いである必要のないものまでかなり染めらちゃって飽和状態なわけじゃない。本来は真面目な仕事であるものまで個人の娯楽趣向に寄せてきちゃってる。こんな娯楽に囲まれた状況じゃ、そもそも真面目な仕事なんてできないんじゃないの?って思うわけよ。そういうのはオフの時間に個人で楽しもうよというのがこちらの意見なんだよね。
西國立志編(自助論の翻訳)という本が明治時代ベストセラーになって、教科書にも採用されてたんだよ。でもその翻訳者である中村正直という人が、通俗的な文芸は統治を乱すという中国儒教の考えかたの儒者の人で、西國立志編の中で「小説は、特に若者を惑わせる無用で有害な文芸」と位置付けたんだよ。
原著の人の方では小説に対して保守的だけどフォローもしてる。でも中村さんはそこを翻訳しなかった。それで小説=俗悪という風潮が広まって、その頃の大学では小説を禁止したりしてたんだよ。
あと映像と論文に関しては私の勘違いでした、すみません。
学術的な映像コンテンツを関連する論文から検索する、
という映像と論文の部分引用システムをごっちゃにしてしまっていた。
>それにマンガや小説以外でも統計資料や報道記事だけが本というわけじゃないよ。>いくら感動したからといって論文にマンガを引用する人はいないからね。>マンガを文化史の研究として取り上げるというなら史料の一つになりえるだろうけど、それを論説の引用とはいわないでしょ。>引用ってのはそこに書かれている主張に根拠を求めるということなんだからさ。
戦後の家庭料理に見られるマツタケ高級化の過程、というマンガ文化史以外での論文引用例としてサザエさんをあげたのだけど、感動した漫画を論説として引用したい、という例としては取り上げてなく、これもごっちゃになってた。ごめんね。
統計資料と報道記事と漫画以外にもたくさん本があるのはわかってるよ、そこは大丈夫。コメ100は、情緒的な物(漫画も小説も詩も)が実生活において貢献度が低いのなら、それらとは対照的なものだけでもいいのでは?という例で統計資料や報道記事を例に出したんだよ。農学書や医学書や美術書、色々あるよね。
131さんの通り、
漫画は癒し効果があるし、そこから何かを得られればなおよし、だと思うよ。
小説や戯曲や詩で、友情や絆を感じたり家庭や社会に関心を持ったり、そういう役目は漫画も担っていると思うから。
(文学性では萩尾望都の半神は有名だよね。彼女は少女漫画家で初の紫綬褒章受賞者でもある)
当事者自身が描く漫画(発達障害の人、難病の人、畜産業の人、レジの人、介護職の人、等々)は、動作や作業というものが視覚的にも理解しやすく、そこが漫画の良さであると思う。
牛川いぬおさんという、ツイッターに牛との日々の漫画をあげている酪農従事者さんがいて、
漫画だからこそ牛に触れたことがない人でも作者の追体験ができる内容になっていると思う。
私自身も酪農従事者で、酪農に関しての飼料設計、乳質改善、乳牛の疾病、屋内設備、草地改良の本などを読むし、実際に作業していく中でしかわからない本質というものがあるかもしれない。
牛川いぬおさんの漫画(作者さんの哲学も入る)を見た人たちも同じような本質を感じ取れているのではと思う。
『西國立志編』の話もごっちゃになってるね。中村正直の『西國立志編』を批判したのは著者の中村自身じゃなくて当時の文部省だよ。それに中村正直は儒者というよりコテコテのクリスチャン。これにしても悪いけどデタラメが甚だしい。
文部省が「通俗的な文芸」を良くないと主張したことは確かにあったんだけど、その「通俗的な文芸」ってのは小説というより西洋の自由主義的な表現のことなんだ。単純にいってしまえば天皇を中心としない自由主義の表現は教育として宜しくないというだけの話。
そうじゃなかったら、日本の古典である『竹取物語』、『源氏物語』、『今昔物語』なんかも全部が「有害な文芸」になっちゃうよ。こういうのも実際の記録じゃなくて物語なんだからさ。それに何回もいってるけど日本は千年以上前から詞や歌を一番の学問としてたのよ。だから歴代の天皇が歌集をまとめたりしてたわけだし今でも歌会が行われてるでしょ。
文学にだって作品のレベルやジャンルってものがあるわけ。下品なものもあればたいして意味をなさないものだってあるでしょ。でも、日本の歴史上で文学自体を俗悪とみなしたことは一度もないはずだよ。
あなたは根本的な認識が間違ってるんだよ。そもそも小説や戯曲や詩が文学や芸術として評価されてるのは感動するとかストーリーがいいからじゃないんだよ。役に立つとか立たないとかの話でもない。限定された表現の内に様々な知識や智恵が含まれてるからなんだ。だから日本では国語の教科書に載せられてるの。
それに何回もいってるけど、どういっても実際の世界とマンガは違うんだよ。『半神』で介護の全ては知ることができないし、酪農マンガをみても酪農を経験したことにはならない。あなたがいうように本当に介護や酪農をやってみなくちゃわかないことって沢山あるわけでしょ?本当に介護や酪農をやりたいなら実際の世界に飛び込むしかないじゃない。酪農マンガをみたら酪農をしなくちゃいけないというわけでもないだろうし。
逆に何でマンガはサブカルチャーじゃダメなのかね?何んで何かと比べて格上とか格下とか役に立つ立たないを論じる必要があるの?娯楽なんだからみたきゃ何も考えずに自由にみるということでよくない?それがマンガなんだからさ。何かそちらは皆が気楽に読んでるマンガを無理やり何かの役に立たせようとしてる気がするんだけどね?
>小説もかつては俗悪なものとみなされていた時期があったし
>明治時代の前半は小説は青少年に有害だと言われてたんだよ
文学ではなくて、小説というものが冷遇されていた時期があったということだよ。中村正直は儒教を礎として生涯を過ごした人で、キリスト教の洗礼を受けてキリスト教の保護に努めながら、儒教の啓蒙も行っていた人だよ。
留学先のイギリスでの社会倫理を、儒教に重ね合わせて理解していき、彼の著書ではキリスト教の神の思想が=儒教の天の思想に重ね合わせられてる。だから中国儒教社会の言葉である「稗官小説」をそのままnovelとromanceの訳語に当てはめ、西國立志編の中で、小説に関するフォローを意図的に省いて訳して害悪なものとして紹介したんだよ。戯作本-草双紙・読本等がこのカテゴリーに含まれてて、通俗的な書物は全て排除という姿勢をとったんだよ。
西國立志編は明治政府の教育体制と一緒に広まって、広範に影響を与えたのはその通りだよね
半神は介護の漫画ではなくて、成長のなかで喪失していく自分自身の心の暗喩のような感じだよ。
普遍性を内在している文芸も良いし、漫画も同じように感銘を受ける人がいるよ、ということ。漫画に特別な意義を見出したいのではなくて、琴線に触れるものをあまり軽視してほしくなかった。
職業漫画や職業小説、その職業の人の伝記を読んでも本業の人と同じ体験を得られるわけではないけど、その人たちの世界観、かくあるべしという意思に触れることができるのも本質を知ることができると表してた(書籍などの実体験が伴わない場合に「本質を垣間見ることができる」という意味で本質を知るを使用していたので、自分しか通じないズレた使い方だったらすみません)
中村正直の師匠は佐藤一斎という国学者だったんだけど、中村自体は儒教的な社会観から脱却したくてキリスト教に入信してるんだけど?
そもそも「稗官小説」という名称は儒教的な用語じゃないし、『西國立志編』で最初に出てくる見習うべき人にしても劇作家のシェークスピアだよ?シェークスピアは恋愛や人間憎悪なんかの戯曲も多いし『ヴィーナスとアドーニス』みたいな長編詞を書いてもいる。これは広い意味で物語なわけだし短ければ小説といっても差し支えないでしょ。長ければ良くて短ければダメとかいうのもおかしなことだし。
その証拠に明治15年版の『西國立志編』では「然も童蒙婦女に解し易かるべき者を撰擇しかめて通俗卑近の文躰に從ひ、且其言外に含蓄せる意味の如きは直ちに之を書き綴りて何人にも思考を費れば一讀怱ちこれを了解するを得せしむ。」という編緒が足されている。学問を学ぶ姿勢があるなら通俗的で卑近な文体から学んでもよいとはっきり書いてあるよ。あなたがいってることと真反対だよね?
とかいうか、ここまでデタラメなこというとなると実際に『西國立志編』を読んだことないよね?政府から批判された『西國立志編』が逆に当時流行っていた小説の排除を主張するものとかカオス過ぎるよ。何でいつもデタラメなことばっかいうのよ?ちょっと酷すぎない?
何回もいってるけど、小説、詞、物語とかって感銘を受けるか受けないかと琴線に触れるか触れないかだけが評価されてるわけじゃないのよ。役に立つとか立たないとかも関係ないの。その評価理由については義務教育で習ってるはずだから省くけど。
そもそも人間ってのは誰でも期限が設けられてんよ。小さい頃に医療マンガで感動して医者になろうと思っても、現実に医者になる努力をしないで次々とマンガを読み耽るようなら最初の感動は何の意味もないと思うんだよ。本当に感動したなら実際に動かなくちゃ。それが成長ってもんでしょ。マンガが感動や予備知識とか自分の好きなものを摘み食いするだけのものであれば、それはやっぱ娯楽以外の何者でもないよ。
厳しくいうようだけど、現にそちらはマンガの良さばっかいうわけだけど常識的なことは間違えてばっかりだよね?せっかく色々なマンガをみて感銘したとしても、常識的なことが疎かだっり物事を間違えて覚えちゃうようなら意味ないと思っちゃうよ。色々ある娯楽のなかでたまにマンガでいいじゃない。でも、世の中がマンガばっかである必要性もないでしょ?
↑
戯曲ではなくて、戯作を中村正直は排除すべきと考えていたんだよ。戯作は人情物・草双紙・読本などを指していて、婦女子の読み物枠に入ってたよ。彼は女子教育にも熱心であったから、彼女達の身近にある読み物としてこれを利用しても差し支えないと考えたのだと思うよ。「小説」は、大学へ行くような男子学生にとっては特に害になるものだと考えていたよ。
稗官小説というのは、中国の小説(とるに足らないちっぽけな言説)が、「稗官によって収集された民間の風俗や噂話といったものの記録、稗史」を指すようになって、やがて「口語による文芸、白話小説」と呼ばれるようになったんだよ。正史に対して、とるに足らない価値のないもの。水滸伝も民衆の間では大人気だったけど、禁圧の対象とされたよ。
日本では中国語の勉強の為に白話小説が利用されたけど、白小説それ自体が人気になって、幕府の文庫にも納められるようになった。でも日本の儒学者はやっぱりこのことを憂いていたみたいだよ。水滸伝評でも「このようなものを訓戒としてはならない」と記してる。江戸時代には、(中国の白話小説に対して)小説は日本の戯作を指すようにもなったけど(曲亭馬琴なども自作をそう呼んでた)一般の人は、戯作=読本や草双紙だったよ。俗文学であり、婦女や童子向けとされてた。
中村さんは『西國立志編』の中で、「小説」は害であるという姿勢を一貫して取っているよ。
小説という言葉を訳語として選んだのも、禁圧の対象とされてきた中国小説を意識してのことだと思われるよ。同時代の辞典では英和でnovelの訳語としてKusazōshi(草双紙)、sakumonogatari(作物語)が当てられていて、一般の人たちにはこの方がより馴染みやすく理解できたものと思われるから。
『西國立志編』の原文自体も、小説に対して保守的で好意的とはいえないけど、(有用な書物や学問に対して、小説は虚構の物語で無用かつ有害な文芸という姿勢)程度をわきまえて読書を楽しむ分には良しとしているよ。でも、中村さんはこの部分を削って翻訳しなかった。原文では第11章自己修養の中で言及されてるけど、『西國立志編』では章の中で更に細分化されて、第11編24「稗官小説ノ害」と表してる。この題名に、小説全般を忌避すべきものとする中村さんの姿勢が現れていると思われるよ。
1876年に中村さんは東京新報に「小説(ゲサクボン)ヲ蔵スルノ四害悪」(中国の「得一録の」一部を訳したもの)という文章を掲載し、その内容は、小説を好む人には悪い噂が多く、大成せず、早死にする、というものだよ。
39さんの通り、『西國立志編』を実際に全文読んだことはなくて、概要、ほか部分部分を読んだことがあるという感じ。「小説は昔は教育に悪いと言われていたことがある」というのを聞いたことがあって、ネットで調べたら中村正直の『西國立志編』に影響されてのこととあったのでそれで知ったよ。色々な人が解説をしてくれているけど、三川智央氏の2010年の論文、「『西國立志編』と明治初期の「小説」観」がとても詳細に説明されてるのでそれを参考にしたよ。ほぼ受け売りのような文章になってしまってるけど。
詩や小説などの文芸作品が一定の基準のもとに評価されてるのは納得してるよ。漫画も種々様々で、紫綬褒章を受賞した漫画家も一つの評価の形だと思う。
医者を志して医療漫画だけを読み続ける人は流石にいないとは思うけど(研修も資格も必要だし)、なかなか踏み出せなく、現実逃避の手段にして読み耽っちゃうことはあるかもね。
常識に疎かったり、間違えて覚えてるのは実際その通りです。エレベーターに1人で乗って操作することを覚えたのは成人してから。漫画というより、生物の本や天文学の本ばかり読んでいたので漫画のせいではなくて自分のせいだと思う。
漫画ばかりの世の中を望んでいるわけではないよ。自衛隊のポスターやご当地キャラで、ギャルゲーのような萌え系のよう女の子達は目が滑るし。ファンシーキャラ、動物キャラなら別として、ある種のイラストには性愛のイメージがつきまとってしまっているので(これも偏見かもしれないけど)どうにも抵抗感があるよ。
間違えを訂正
×紫綬褒章を受賞
○紫綬褒章を受章
それがデタラメだっての。あなたは人の話を聞きなさいよ。中村自身が「通俗卑近の文躰に從ひ」と『西國立志編』の編緒に書いてあるといってんじゃん。あながいうような通俗的なものを全部排除してないでしょ?わざわざ「通俗」なものでもよいと書いてあるんだからさ。
それに小説ってのは中国でも千年くらい前からある言葉だし、必ずしも口語による文芸とか白話文を指したもんじゃない。その説明もデタラメ。シェークスピアにしたって戯曲だけじゃなく読み物としての戯作を書いてると説明したよね?何でこちらの話をいつも無視すんの?
それから『西國立志編』は明治15年に詩人で小説を愛していた中村秋香が再販してたりするんだ。小説好きな人が小説を否定した『西國立志編』を再販するなんておかしな話だと思わない?
というか、そもそも『西國立志編』は中村元直が書いた本じゃないの。翻訳しただけ。本当の著者はサミュエル・スマイルズなんだ。中村は何でシェークスピアとかが褒められるのに一部の作り話は否定されてるのか疑問に思った。だからわざわざ「稗官」の文字を付けて一般的な小説と別けようとしてるわけじゃん。じゃないとこちらが挙げた中村自身の言葉とか小説愛好家が『西國立志編』を再販してることと矛盾するでしょ?
そちらが挙げた論文も知ってるけど正直おかしな論説だよ。「小説」という言葉に囚われすぎて中村自身の認識や当時の状況が全く考慮されてないし。加えてそちらにしても自分の話ばっかりしてこちらの話を聞く姿勢がまったくない。こちらはデタラメを訂正してばかりで疲れてきたよ。せっかく長々と説明してるのに聞く気がないならもう終わりでいいかな?
なら最初から何の問題もなくない?こちらはマンガを読むこと自体を否定していないんだからさ。マンガは娯楽なんだから個人で楽しめばいいわけじゃん?何でもかんでもマンガを中心にする必要性は全くないわけでしょ。
明治15年発行の中村秋香改正版は、「原訳文字簡潔にして意思高尚なるをもって憾むらくは童蒙婦女をして普ねく之を読みて詳に其意を解せしむる能はざる」という理由から中村秋香さんが婦女子向けにひらがなや仮名を付けたものを発行したので、女子教育に力を入れていた中村正直さんも通俗卑近の文体を了承したのだと思うよ。中村秋香さんは文部省勤めで、『西國立志編』の改正版を出し、でも小説が好きなら、中村正直さんの小説忌避はその範疇とはまた違うものだったのだろうか?中村正直さんは儒者で、キリスト教と儒教は同質であると解釈し(敬天愛人説)、イギリスでの見聞から女子教育と障害者教育にも力を注ぎ、刮目させる人だなと思ったよ。
>何でこちらの話をいつも無視すんの?
無視をしたつもりはなかったんだよ。シェークスピアの作品を中村正直もスマイルズも戯作と捉えず、彼らの基準で格調高い作品だと判断していたと思うから。
>「稗官によって収集された民間の風俗や噂話といったものの記録、稗史」を指すようになって、
>やがて「口語による文芸、白話小説」と呼ばれるようになったんだよ。
小説という言葉自体は、荘子が例え話の中で「些細な言葉」という意味合いで使用して、司馬談(司馬遷の父)は、小説家は「うわさ話を集め、物語などを伝え、書物に残した者たち」としたよ。漢書での小説の説明は、「庶民が町中で交わす日常風俗の話を稗官が採集したもの」。唐代では科挙の受験生が著名な人物に自作の詩を披露して便宜を図る際に、「小説」を用いる者も現れて
枕中記(邯鄲の夢)などの伝奇体の小説が盛んに作られて人気を博したよ。宋代には口語体の白話小説が出現して、明代の「四大奇書」の頃には、本来は小説を忌避する立場である官人の謝肇淛が、「たとえ虚構でも小説には真理が内包されている。事実なら史伝を見れば事足りる」と述べてる。清代には紅楼夢が人気を博したけど、この時代の小説に対する弾圧が一番激しいもので、
中村正直さんもこの思想を『西國立志編』でnovelとromanceの訳語に当てはめたのだと思うよ。
>せっかく長々と説明してるのに聞く気がないならもう終わりでいいかな?
説明を聞いた上で返答しているつもりだったのだけども、的外れになっていたらそこは自分の力量不足なので申し訳ないです。
ありがとうございました。
マンガ中心の世の中である必要性がないのは同意だよ。
漫画を取るに足りないものという意見に対してのレスをしていたんだ。
レスが分かりにくいものにばかりなってしまってごめんね。
返答を毎回考えてくれてどうもありがとう。
『荘子』に「飾小說以干縣令。其於大達亦遠矣。」とあるけど、それを現代語訳するなら「小さき説を飾り立て県令になることを求めれば、其れは大きな志から遠のくことにならないか?」となる。つまりここでいう「小説」ってのは、自身が拘ってる個人的な言説という意味なんだ。『荘子』に注釈した郭象という人も、『南華真經註疏』で「飾小説」を「飾小行」のことといってるから先ず間違いない。
それに司馬談にしても「小説」を物語のこととか一言もいってない。多分それは『前漢書』の記述とごっちゃになってると思うんだけど、原文は「小說家者流。蓋出於稗官。街談巷語。道聽塗說者之所造也。」とあるから、これも物語を指しているわけじゃない。たとえば『前漢書』でいう小説の本に「伊尹說二十七篇」とかあるけど、これは明らかに政治を説いたもんだよ。『前漢書』は小説家の説が正当な書物と共通してないから、本気にしちゃいけないといってるだけで物語だからダメとはいってないの。
あと唐代や宋代の説明も全部デタラメだ。唐代の科挙って儒教の書物にどう書いてあるかというテストだよ?そこで何で物語が出てくんの?唐代や宋代にしても正当な書物以外のものを「小説」っていってたのよ。唐代には占いや生き物について説かれた「小説」なんかもあったし、必ずしも物語の本を指していたわけじゃない。こんなデタラメなことを中村正直がどう『西國立志編』に採り入れるのよ?
あのさ、これも『荘子』とか『前漢書』とか『旧唐書』なんかみないでいってるよね?何でマンガは見るのに、こういう本は見ないわけ?いつも知ったかぶりじゃん。こういうのネットで調べて平気でデタラメいうのって凄い失礼なことだと思うよ。しかも注意したら、またデタラメで返してくるしさ。ここまで酷いと正直マンガばかり見てる場合じゃないと思うけど?
>あのさ、これも『荘子』とか『前漢書』とか『旧唐書』なんかみないでいってるよね?
そこは面目無いよ。中国の小説史ということで、魯迅の『中国小説史略』を説明しているサイトや、それについての論文を見て書いたんだ。中国の思想書についての私の知識は、国語便覧のものしかなかったので。たしかに一遍ちゃんと読んだ方が良いよね(解説付きで)。小説についての説明が変なのは私の要約や抽出の仕方がダメなのであって、元サイトさんや論文自体はちゃんとしてるよ。
>小説という言葉自体は、荘子が例え話の中で「些細な言葉」という意味合いで使用して
そうだね、些細な言葉というより言説という意味の方が適切だね。荘子の道術に対して、孔子などの諸学説は小説である(孔子にとっての荘子もまた同じ)という意味合いのようなので。
>多分それは『前漢書』の記述とごっちゃになってると思うんだけど
分かりづらいけど前漢書の文芸誌の方を指してたんだ。街中で人々が交わす話を「物語」と書いたのは確かに違うね、すみません。物語だからじゃなくて正史に通じないからダメというのは分かってるよ。そこは大丈夫。説明どうもありがとう。
>唐代の科挙って儒教の書物にどう書いてあるかというテストだよ?そこで何で物語が出てくんの?
唐代には科挙を受ける前に、受験生は地元の名士や文人などの社会的地位の高い人に自作の詩文を送り(行巻や投巻と呼ばれてた)、それが認められると科挙の合格者に推薦されるという風潮があったんだよ。詩文もワンパターンになってくると行巻中に小説を載せるものが現れて、そのような人が成功すると、同じように伝奇小説を書く人達がたくさん現れるようになったんだ。伝奇体として謗られる対象でもあったけど。
>唐代や宋代にしても正当な書物以外のものを「小説」っていってたのよ。
中国の小説についての概要を書いた(山海経なども小説だけど略した)のだけど、
>それに小説ってのは中国でも千年くらい前からある言葉だし、
>必ずしも口語による文芸とか白話文を指したもんじゃない。
このレスに対して、小説の名の始まりから口語文に至るまでのことを記したつもりだったんだ。疎かに扱う意図はなかったよ。
>中村正直がどう『西國立志編』に採り入れるのよ?
中村正直さんは小説については、厳しい目を向けた儒家の考え方を引き継いでるのだと思うよ。
>ここまで酷いと正直マンガばかり見てる場合じゃないと思うけど
漫画以外も本を読んでいるので、要領を得なかったり的外れになってるのは私自身の問題だから漫画自体の問題ではないと思うよ。天文学系(日経サイエンスやニュートン)と生物学系、美術系の本は好きでよく読んでるよ。文学は、多分有名どころは読んだと思うけど(チェーホフとかギリシア悲劇とか芥川龍之介とか伊勢物語)、バロックオペラが好きだからイタリア語のアリアやオペレッタを趣味で訳する流れで現代イタリア文学も読むようになったよ。英訳とイタリア語原文のアリアを比較すると韻を踏む過程で欠落する箇所もあるから、やっぱり詩の翻訳は難しいのだなと思うよ。私は初心者でへっぽこだけど。
ごめん、文を間違えてた。
×>小説という言葉自体は、荘子が例え話の中で「些細な言葉」という意味合いで使用して
○>つまりここでいう「小説」ってのは、自身が拘ってる個人的な言説という意味なんだ。
あなたの引用したのサイトや論文ってのがそもそも間違いだらけなんだ。そもそも司馬談が書いた本なんて一つも残ってないし、『山海経』を小説として扱った古い史料なんてのもないよ。そんで唐代の科挙についてもやっぱりデタラメ。中村元直の話だって『西國立志編』以外の著書をみてみなよ。儒教を否定しているかさ。デタラメの話にデタラメを足しても全く意味ないでしょ。
マンガもそうだけど好きな本を摘み食いで読んでも知識なんかえられないんだよ。知識にはセオリーとステップがあんの。好き勝手に本を読み漁っても、それを学習とはいえないんだ。そのやり方を学ぶために学校ってもんがあるんだし。いうなれば『前漢書』や『西國立志編』が言うところのやっちゃいけない学習方法をやってるのがあなたなんだよ。
>そもそも司馬談が書いた本なんて一つも残ってないし、『山海経』を小説として扱った古い史料なんてのもないよ。
司馬談が諸子百家を六家に分類したのと、班固が三家+小説家を加えたのをごっちゃにしてたよ。サイト、論文ではそこは分けてたから私が勘違いしてた。ごめんなさい。山海経については魯迅の小説史観の分類を参考にしたので意味合いが違うよね。そこもごめんね。
>そんで唐代の科挙についてもやっぱりデタラメ。
行巻・投巻の習慣については、特に唐詩との関係について各所で語られているのでその存在は確実なんじゃないかな。
>中村元直の話だって『西國立志編』以外の著書をみてみなよ。
儒教を否定しているかさ。
中村正直さんの著書は概要と、部分部分をネットで見たものしかわからないのだけれど、キリスト教と儒学の教えは同質であると考え、世の東西の真理は普遍的なものだと捉えたんだよね。生涯儒教を基軸に生きた人だと思うよ。
>いうなれば『前漢書』や『西國立志編』が言うところのやっちゃいけない学習方法をやってるのがあなたなんだよ。
やっぱり基本を疎かにしてたら詰まっちゃったりするね。ちゃんと力を入れようと思う。
こちらも中村正直を元直とか書いてたり、助詞とか諸々の打ち間違いがあるからすまないね。そちらは本当に間違えたと思ったらちゃんと謝ってくれるから、こちらも一々訂正したてきたわけだけどやっぱり知ったかぶりってよくないよ。どんなにいってもデタラメを辞める気はないみたいだし。残念です。
知らないなら知らないでいいと思うんだけどね?わざわざ自分でも理解してない難しそうな例なんて挙げなくていいのよ。こちらは何でみてもないのに知ったかぶりして相手に話ちゃうのか全く理解できない。そういうのって正に76で例に出した人と同じだよ?
>こちらも中村正直を元直とか書いてたり、助詞とか諸々の打ち間違いがあるからすまないね。
それは全然大丈夫だよ。タイピングミスなんだなと文脈から分かったよ。
>こちらも一々訂正したてきたわけだけど
間違えているという自覚がなかったので、たくさん訂正してくれて、大変なのにどうもありがとう。
>どんなにいってもデタラメを辞める気はないみたいだし。残念です。
↑
今までの一連のレス群を指しているのであれば努めてちゃんと情報源もあるレスをしようと思うのだけど、
一つ前のレスのことを指しているのであれば、
中村正直さんが生涯儒学を基軸にしたという見方は、儒学を絶ちキリスト教徒として生きたという見方よりも多くの人が同調する所であるみたいだし(関連諸論文などから)、行巻・投巻については、唐詩と行巻・投巻などの関連論文などを見ても存在が確実視されているんだよ。
>やっぱり知ったかぶりってよくないよ。
>こちらは何でみてもないのに知ったかぶりして相手に話ちゃうのか全く理解できない。
知ったかぶりをして相手を騙そう、という意図はなかったんだよごめんね。うろ覚え(漫画と論文についてのこと等)なのに話に持ち出してしまって、改めて調べてみたら私の思い込みや勘違いだったので、本当に手を煩わせてしまってすみませんでした。(添削してくれている人に申し訳ないのだけど、実は、156さんも半神を介護の漫画と間違えたり、小説害悪論を文学全般だと受け取ったり、中村正直さんと中村秋香さんの混同があったりで、ちょっとおっちょこちょいな所があるのかな?、と思ったよ。)『西國立志編』については、昔は小説も青少年の教育に悪いとされていた時期があったという話を思い出して、調べてみたんだよ。小説と中村正直さんに関してはバイアスがかかっているかもしれないけど、論文書籍各種(ネットで閲覧できるもの)を見た限りではああいう感じではないかと思う。
156さんとは漫画の見解についてはコメ104と149で一致しているけど、小説と『西國立志編』、中村正直さんの儒教への姿勢、行巻・投巻に関してはそうではないので私の説明下手もしくは認識の間違い、両者の見解の違いに基づいていると思ったよ。小説と『西國立志編』については156さんの意見も私の意見も取り入れた上での見解にしようと思いました。どうもありがとうございました。
コメントする