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日本の風土と文化を愛し、皇室を尊ぶ愛国系まとめブログです。本当の意味で日本を愛することの大切さを発信していきます

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    1: みなみ ★ 2019/05/05(日) 12:48:14.79 ID:s30WkB749
    日本を代表する新興宗教として、大きな勢力を持つ創価学会。その組織が持つものとして広く知られるのが「聖教新聞」と「公明党」である。この2つは、創価学会の拡大にどんな役割を果たしてきたのか。宗教学者の島田裕巳氏が解説する。

    ※本稿は、島田裕巳『親が創価学会』(イースト新書)の第1章「創価学会とはどういう宗教なのか」の一部を再編集したものです。

    会員が自ら購読料と配達を請け負い、布教活動

    『聖教新聞』は、1951年4月20日に創刊された。最初は10日ごとに刊行される旬刊だったが、しだいに発行の頻度が高くなり、1965年からは日刊になった。
    宗教教団の出している日刊の新聞は現在、統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)系の『世界日報』と『聖教新聞』だけである。

    『聖教新聞』の購読者を増やすことが組織の拡大に結びつくと考えているため、創価学会に入会していない人間にもその購読を勧める。場合によっては、会員自身が購読料を負担し、読者になってもらうこともある。
    したがって、熱心な会員は、新聞の購読料を何部分も負担している。配達も会員がおこない、それは信仰活動の一環としてとらえられている。配達の報酬は、まったくないわけではないが、かなり薄謝である。
    ただ、配達員は、創価学会の組織から「無冠(むかん)の友」と呼ばれ、賞賛されるし、会員は「池田大作(いけだだいさく)先生のお手紙」を配達する重大な使命を果たしていると考えている。

    以下ソースで読んで
    2019年5月5日 11時15分
    http://news.livedoor.com/article/detail/16413978/

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    20周年記念大会(HP素材)-2

    1 :
    番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/04/30(火) 12:09:24.33 ID:pcwj/sC0a.net
    両陛下が確立した平成の皇室像に紆余曲折…乗り越えた右派の批判〈AERA〉 

    天皇や皇后がひざまつき、被災者に話しかけるスタイルが確立された平成の皇室。 
    全国各地で国民一人ひとりと直接つながることで、おのずと「国体」が強化されていった。 
    一方で、これまでとは違う天皇像に右派から批判があったのも事実だ。放送大学教授の原武史さんがリポートする。 

    *  *  * 
     1962年5月の宮崎、鹿児島、熊本行啓からは、主に地元の青年男女を集めて懇談会が開かれるのが恒例となる。 
    懇談会というのは、皇太子夫妻が泊まった施設や公共施設で、5~10人程度の人々とテーブルを囲み、 
    1~2時間かけて各地方で起こっているさまざまな問題につき、直接質問したり意見を聞いたりする会合のことだ。 

     昭和天皇は、東宮御学問所で帝王は言葉を慎むべきだとする儒教式の教育を受けたため、人々との会話に慣れていなかった。この点は香淳皇后も同様であった。 
    一方、皇太子夫妻は長時間にわたり、人々と話し合える言葉の力をもっていた。 
    一見、皇太子が司会の役割を演じながら、座が和んでくると美智子妃が主導したという。 

     美智子妃は63年に第二子を流産するが、引きこもらず、皇太子とともに山口県を訪れ、懇談会に臨んだ。 
    地元の保健婦や農村青年と話した時間は、合わせて2時間半に及んだ。言葉の力によって危機を乗り越えるのだ。 

     懇談会は、タウンミーティングとしての意味をもっていた。 
    地元議会に女性がほぼいなかったことを考えれば、美智子妃が若い女性の声をすくい上げ、その声が地方紙などに大きく掲載されることの意味は小さくなかった。 

     だが右派にとって、天皇と皇后は決して対等であってはならなかった。彼らは昭和天皇のような神格化した権威を、次代の天皇にも求めようとしていたからである。 

    「日本を守る国民会議」(現・日本会議)を中心とする右派が80年代から復活させたのが、提灯奉迎である。 
    提灯奉迎というのは、ただ提灯行列を行うだけでなく、天皇や皇后に向かって人々が提灯を振り上げ、万歳を叫ぶ奉迎のことだ。 

    つづく 
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190425-00000051-sasahi-soci&p=1
    4 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/04/30(火) 12:10:37.30 ID:pcwj/sC0a.net
    昭和天皇の在位60年に当たる86年11月には、皇居前広場で提灯奉迎が復活した。 
    88年には、昭和天皇の名代として皇太子夫妻が全国植樹祭に出席するため訪れた高松市のホテルでも、提灯奉迎が行われた。 

     右派にとっては、人々から仰ぎ見られ、高みから提灯を振る天皇こそ理想の天皇であった。 
    だが彼らの期待に反して、こうした天皇像が平成に定着することはなく、それとは正反対の天皇像が定着してゆくのだ。 

     その姿が初めてあらわになるきっかけとなったのが、1991(平成3)年6月に長崎県の雲仙・普賢岳で起こった大火砕流である。 

     天皇と皇后は、7月に被災地を日帰りで訪れた。災害の直後に被災地を二人で訪れたのは、これが初めてであった。 
    テレビのニュースには、被災者が収容された島原市の体育館で、天皇と皇后が二手に分かれてひざまずき、 
    同じ目の高さで一人ひとりに語りかける映像が繰り返し流れた。 

     これは60年代から福祉施設で美智子妃が率先して行い、皇太子がならったスタイルにほかならなかった。 
    昭和期には天皇と皇后の陰に隠れて見えなかった「平成」が、初めてあらわになったのだ。 

     93年になると、昭和天皇と香淳皇后が住んでいた吹上御所に代わる新御所の建設を機に、「皇室バッシング」というべき現象が生まれた。 
    宮内庁職員を自称する「大内糺(ただす)」という人物は、こう述べている。 

    「本来、ご皇室にとって皇后陛下は、あまり意味のある存在ではない。ご公務はもちろん、大抵の儀式も天皇陛下がおいでになれば事足りる。(中略) 
    それなのに、最近では国際親善の場面にとどまらず、あらゆるところにご夫妻として参加されるようになってきているのである」 
    (「皇室の危機」、「宝島30」93年8月号所収) 

     ここには右派の本音が透けて見えている。彼らにとって、常に天皇に寄り添う皇后の姿は、目ざわり以外の何物でもなかったのだ。 

     皇后は、この年の10月20日の誕生日に際して、「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」 
    「事実に基づかない批判が、繰り返し許される社会であって欲しくはありません」などと反論する文書を公表した。 
    言葉に対しては言葉で反論するという姿勢を見せたわけだ。 
    8 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/04/30(火) 12:13:56.09 ID:pcwj/sC0a.net
    しかし精神的な苦痛からか、誕生日に倒れ、失声症になっている。だがこのときも、皇居に引きこもることはなかった。 
    11月6日には、天皇とともに松山市の愛媛県身体障害者福祉センターを訪れている。 

    「出迎えた県聴覚障害者協会長西原治見さん(中略)に、皇后さまが手話で『お会いできてとてもうれしいです』と話しかけられた。 
    西原さんが、皇后さまの体を気遣って『がんばって下さい』と答えると、にっこりほほ笑まれたという」 
    (「愛媛新聞」93年11月7日) 

     皇后は、声を失っても手話で人々と会話を続けることで、危機を乗り越えたのだ。またしても言葉の力が発揮されたのである。 

     95年1月に起こった阪神・淡路大震災でも、天皇と皇后の現地での振る舞いが右派から批判を浴びた。 
    「日本を守る国民会議」の代表委員を務めていた江藤淳は、「何もひざまずく必要はない。被災者と同じ目線である必要もない。 
    現行憲法上も特別な地位に立っておられる方々であってみれば、立ったままで構わない」
    などと述べている 
    (「皇室にあえて問う」、「文藝春秋」95年3月号所収)。 

     しかし天皇と皇后は、昭和期に美智子妃が主導する形で確立され、平成になってあらわになったスタイルを変えようとはしなかった。 
    宿泊を伴う定例の行幸啓では右派による提灯奉迎にこたえつつも、天皇の隣には常に皇后がいた。 
    二人は全国各地の福祉施設で、そして被災地で時としてひざまずき、「市井の人々」に同じ目線で語りかけたのである。 

     その人数を累積すれば、おびただしい数にのぼる。 
    行幸啓を重ねれば重ねるほど、政府や議会を介在せず、天皇や皇后と一人ひとりの国民が直接つながる関係が強まったのだ。 
    天皇と万単位の人々がひとつになる昭和の「君民一体」とはちがい、今度は一対一の関係で、天皇と「市井の人々」がひとつになる。 
    これをミクロ化した「国体」の強化と言い換えてもよいだろう。(文中敬称略)(放送大学教授・原武史) 
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    1: 樽悶 ★ 2019/03/28(木) 22:48:42.17 ID:qarADIbd9
    多くの取材陣を前に、会見する釈党首(右)と松島弘典幹事長(左)。
    https://the-liberty.com/itemimg/15584_l.jpg

    幸福実現党の釈量子党首が27日、東京の党本部で記者会見を開き、4月に全国で行われる統一地方選で、市議会議員を中心に、現職、元職、新人を含めた102人の公認候補を擁立することを発表した。

    各地の公認決定者は、2019年 幸福実現党統一地方選挙 特設サイトを参照。

    現在、同党は、全国に公認の地方議員が22人、推薦を含めると約30人の地方議員がいる。

    会見で釈党首は、「統一地方選に向けた3つのメッセージ」と題し、「消費税5%で好景気を」「日本の製造業の復活を」「脅威に屈せぬ国防を」という論点を主張した。

    以下は、会見の要旨。

    ■消費税5%で好景気を

    本年10月、消費税が10%に引き上げられる予定だが、増税すれば、日本はデフレに逆戻りする。幸福実現党は立党以来、消費増税はデフレ化政策であり、行うべきではないと主張してきた。

    中国経済が低迷し、日本の輸出企業を中心に業績がすでに悪化している状況では、消費増税の凍結だけでは不十分。景気が悪くなれば、結局、何兆円も財政出動するだろう。ここは思い切って、減税政策として消費税8%を5%に引き下げることを検討すべき。

    アメリカも中国も減税政策で景気対策を行っている。なぜか、日本だけが増税路線を突き進んでいる。しかし、前回の消費税8%への増税以降、個人消費は回復していない。消費税を5%に戻し、消費景気を起こし、中国経済の低迷リスクに対して備えるべきだと考える。

    ■日本の製造業の復活を

    日本の地方が元気になるためには、経済・雇用の中心となる製造業の復活が必要。

    例えば、法人税の実効税率を10%台まで引き下げる。また、航空・宇宙・防衛・ロボット・エネルギーなどの高付加価値産業を日本の基幹産業にするために、10年計画・100兆円規模の大胆な投資を行うべきだと思う。このくらいの覚悟がなければ、アメリカや中国などがしのぎを削っている製造業の分野で世界をリードすることは困難。

    全国各地に新産業の集積地ができることによって、地域経済の基盤を強くし、インバウンドに頼る地方経済を乗り越え、どんどん富を生んでいく産業構造に転換しなければならない。

    海外に進出している企業も日本に戻り、地域経済や雇用創出に貢献してほしい。日本の製造業を復活させ、日本のゼロ成長の最大の要因である産業の空洞化を乗り越えていきたい。

    ■脅威に屈せぬ国防を

    3月20日、安倍首相宛に「台湾と国交回復し関係強化を求める要望書」を提出し、「日本政府はいち早く、台湾関係基本法を制定し、国交を回復すべき」だと要望した。

    日本はアメリカと共に、自由や民主主義、信仰の価値観を守るアジアのリーダーとしての責任を果たし、中国の覇権主義を阻止し、アジアの平和を守り抜くことが大事だと考える。

    日本を強く、豊かにするために、そして、国民の皆様の幸福を実現するために、今回の統一地方選を戦い抜いていきたい。

    The Liberty Web 2019.03.27
    https://the-liberty.com/article.php?item_id=15584

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    20161128230010828

    1: 風吹けば名無し 2019/03/12(火) 19:31:27.96 ID:VlAuwbnH0
    助けて

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    kensho03_top
    1 :ちぃぃん :2019/03/06(水) 12:39:24.35 ID:1fuyD/0qF.net 
    https://hbol.jp/187242?display=b 
    宮島は前年の参院選において同教団の組織票の上積みで当選。 
    山本は後援会が統一教会がらみと指摘されており、15年の教団名称変更の際に文科大臣政務官を務めていた議員。 

     来賓挨拶で宮島は「昨年7月の参議院選挙で皆様方の応援をいただき当選させていただきました。 
    厚く御礼申し上げます。ありがとうございました」と発言。 
    そして教祖・文鮮明の自叙伝を「何度も読み深く感動した」と付け加えた。 
    参院選当時、筆者の取材に対し教団のとの関わりを完全否定してみせた宮島の「完全自白」だ。 
    注目は次に登壇した山本の来賓挨拶の内容だ。山本はこう述べ、同教団との密接な関係をアピールした。重要な内容を含んでいるのでほぼ全文を掲載する。 

    「日頃より世界平和統一家庭連合の徳野会長、 
    また世界平和連合の太田会長を始め本当に皆様には我々自民党に対して大変大きなお力をいただいていますことを改めて感謝を申し上げたいと思います。 
    おかげさまで安倍政権も5年目を迎えまして『長期安定政権』そのように評価をいただいているところでございます。 
    皆様には引き続き、 
    我々に大きなお力を賜りたいと思います。 
    本日は、母の日ということで、わたくしも皆様より一足早くお先にマザームーン(韓鶴子)に先ほどカーネーションの花束をプレゼントさせていただきました。 
    今、大きな拍手をいただいてたいへん僭越なのですが、今までわたくしの実の母にもあんな立派な花束を贈ったことがないな、 
    あまり親孝行ができてないと反省をしていたのですが、よく考えますとわたくしの母はわたくしにとっての母でしかありませんが、 
    マザームーンは今日お集まりの皆さまにとっての母でありますので、花束が多少大きくて立派でもわたくしの母は許してくれるのではないのかなと、そのように思っております。 
    今日は母の日ということで、マザームーン(韓鶴子)から皆様にいろんな話があると思います。 
    そして皆さまからマザームーンへ対しての感謝の思いがマザームーンへ伝わる。 
    おそらくマザームーンにとっても、そして今日ご参集の人たちにとっても今日は特別な日になるだろうと確信をしております」 

    続きはリンクから 
    音声データ有り
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