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日本の風土と文化を愛し、皇室を尊ぶ愛国系まとめブログです。本当の意味で日本を愛することの大切さを発信していきます

    沖縄

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    furuyat_1

    1: 名無しさん募集中。。。 2018/12/25(火) 11:05:04.94 0
    https://lite.blogos.com/article/347274/

    沖縄の先祖代々の土地を、米軍から取り戻したい。沖縄の先祖代々の土地に、これ以上米国の軍隊の基地を創って欲しくない―。これこそが保守であり、真の愛国者の姿勢では無いのか。
     この観点からすると、ローラさんの意思表明こそが、まさに真なる保守であり、そして正にまっとうなる愛国者の姿勢そのものである。
     土台彼女は「左傾」でも「反日」でもなんでもない。「ローラさん、ナショナリズムに目覚めたみたいだけど大丈夫?」というコメントは全然見当たらない。
    単純に在沖米軍基地反対=反日、左翼という、ネット右翼に古典的にある、ある種の沖縄ヘイトが、通念のように浸潤しているからこそ、ローラさんを「左傾」「反日」と罵るのである。実態はその逆なのにも関わらず。

    ・銃剣とブルドーザーで強制接収
     1945年4月1日、米軍が沖縄に上陸。同年6月23日、日本軍守備隊第32軍は摩文仁洞窟で玉砕し、日本軍の組織的抵抗は終わった(沖縄終戦の日)。
     生き残った日本兵や沖縄県民は米軍の管理下に置かれ、収容所生活が始まる。円の流通は停止され、米軍発行の軍票が公式通貨になった。
    沖縄戦で徹底的に焼き尽くされた沖縄本島は、本土と違い戦後復興を米軍に頼るしか無く、たかだか戦後5~7年程度で戦前の最高水準にまで復興した本土経済と沖縄は、まったく逆の経緯を辿った。
     米軍基地の存在を前提とした沖縄経済。米軍発行の軍票は「B円」と呼ばれ、極端なB円高政策によって購買力が高まり、「工業無き復興」を成し遂げたのが戦後沖縄である。
     そして米軍基地依存が進むのと時を同じくして、冷戦が深刻化。東アジアのキーストーン(要石)である沖縄は、アメリカにとって格好の軍事拠点となった。
    こうして、「銃剣とブルドーザー」というアメリカ軍の一方的で無思慮な基地建設が、沖縄県民の意思を無視して進められたのである。そうしてそうした基地から飛び立った爆撃機が、直接ベトナム戦争に於ける北ベトナムに爆弾の雨を降らせた。

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    picture

    1: クロ ★ 2018/12/20(木) 21:39:58.37 ID:CAP_USER9
    ロシア、在日米軍で回答要求
    平和条約交渉でプーチン氏

     【モスクワ共同】ロシアのプーチン大統領は20日の記者会見で、沖縄県の米軍基地問題の現状に言及した。同県知事が反対し、住民が撤去を求めているにもかかわらず整備が進んでいるとし、日本の主権がどの程度の水準にあるのか不明瞭だと批判した。その上で、日ロ平和条約交渉について、締結後の在日米軍の扱いに関して日本側の回答なしにロシアが重要な決定を行うのは難しいと述べた。

     米ロ間の対立を背景に、安倍晋三首相と11月に加速化で合意した平和条約締結交渉に際し、在日米軍の扱いについて日本に回答を迫る姿勢を明確にした。

    共同通信
    2018/12/20 21:22
    https://this.kiji.is/448457388218106977

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    NBrkLfx-1

    天皇陛下の記者会見 全文
    2018年12月23日 1時10分
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757541000.html

    (一部抜粋)

    昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。
    沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。
    皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。
    沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。

    (略)

    海外と日本

    今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。
    この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。
    こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。

    そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。

    日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。

    (全文はソースで)

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