1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2020/07/11(土) 05:41:06 ID:●.net
日本の植民地時代に現在の北朝鮮西部・平安南道で生まれ、満州国で軍官学校卒業後、抗日ゲリラ掃討部隊に配属。
終戦後は北緯38度線を南に渡り、韓国で軍創設に尽力した。朝鮮戦争(1950~53年)では数々の戦闘で功績を挙げ、
陸軍参謀総長や韓国陸軍初の大将に昇進。「朝鮮戦争の英雄」と呼ばれ、米軍との関係も深かった。
軍退役後は中華民国(台湾)やフランスなどの大使を歴任。朴正煕政権で交通部長官を務め、70年の日航機よど号ハイジャック事件の対応にも当たった。
https://news.yahoo.co.jp/articles/562be50a7031abfd2abf6d7e33f594b08720b650
(※まとめ補足)
朝鮮日報社説
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcdfee6af9976a578ddb55ddd382b124155dc39b
享年100歳でこの世を去った6・25戦争の英雄、ペク・ソンヨプ予備役大将に各界から弔問と哀悼の声が相次いでいる。ペク将軍がいなければ、今日われわれが享受している自由と平和と繁栄はなかったし、大韓民国そのものが存在しなかっただろう。70年前に破竹の勢いで押し寄せてきた北朝鮮軍の前で、洛東江に最後の防衛戦を敷いたペク将軍は、恐怖におののく兵士たちに「われわれが引き下がれば米軍も撤収する。私が後退したらおまえたちが私を撃て」と言って先頭に立って突撃した。ペク将軍は8000人の兵力で北朝鮮軍2万人の総攻勢を1カ月以上防ぎ、戦況をひっくり返した。奇跡のような出来事だった。ペク将軍は仁川上陸作戦成功後、米軍よりも先に平壌に入城し、1・4後退後のソウル奪還の際にも先頭に立った。
ペク将軍は韓国軍創設にも参加し、休戦会談では代表を務め、韓国軍初の大将になり、陸軍参謀総長に2回就任するなどして韓国軍を再建した。韓国軍を「民兵隊」のように扱っていた米軍も、ペク将軍にだけは「最高の野戦指揮官」として尊敬の念を惜しまなかった。在韓米軍司令官が新たに任命されたときは、必ずペク将軍を訪問して転入を報告し、米陸軍歩兵博物館には彼の肉声による証言が永久保存されている。「6・25の生きた伝説」「救国の英雄」「韓米同盟のシンボル」など、ペク将軍を説明する多くの言葉をいくら使っても、彼の業績を全て説明するのは難しいほどだ。